今日も明日も親父も”野球 “/第五話「嫌になってきた」
楽しいだけだった”野球 時代”の終わり
小学校2年も終わる頃、親父は相変わらず熱血で爆裂で俺はかなり警戒はしていた。
が、その熱血さはまだまだ兄貴に向けられていて、俺は投げる事の楽しさを知り、バッティングセンターにも楽しく通い、兄貴達のストリートベースボールにも混ぜてもらい、お気に入りのユニフォームを手に入れ野球が面白かった。
しかし、グランドで愉快に野球をしていた俺も小学三年になり。
体も大きかったし、試合にすこーしずつ出してもらえるようになった。
初めて出た試合は、外野だった気がする。
「声出せー‼︎」「ボール呼べー!」
少年野球で良く聞くフレーズだ。
それを言われると子供たちは「バッターこーい‼︎」とか言う。
活字にするとかなり謎だ。
ただ言っている選手達は、意味とか考えてないと思う。必死だ。俺も考えてなかった。
むしろ「こーい!」って言うけど、守備にまだまだ自信がない俺は、心の中で「俺の所にくんなしー」って思っていた。
幼馴染の田中ちゃんはストリートベースボールの仲間でチームは違うが同じ時期に少年野球に入部しに行ったが、この「こーい!!」って声を出すのが嫌で野球をやるのを諦めた。
田中ちゃんは言う「俺、声出さなくても捕れるし。」
あのコーチ達の「声出せー‼︎」「ボール呼べー‼︎」は今ならわかる気がする。
子供達に声を出させてないと、ボールに集中しないし、準備が出来てないからだ。多分。
声を出す話はここらへんで。
恐怖のノック練習…
試合に出る様になり、覚える事が増え、やる事が増えた。
一番増えたのは、ノックだ。守備の練習。
外野ノックや内野ノック。
足が驚異的に遅かった俺はボールまで追い付くのに必死だった。
内野ノックをやっていると、決まって最後は
「10球連続で取ったら終わり」
俺はこれが大嫌いだった。これを聞くだけで泣きそうだった。
ボールに追い付くのは大変だし、打球が速くて怖いし、コーチはオラー‼︎って叫ぶし、8球目くらいでエラーした時の絶望感ったらないし、親父がグランドの外で見てるし…。
だからこのノックを受けると3球目くらいには涙が溢れてた。
そう、俺は泣き虫だ。
リトルに行くのが嫌になり始めた…
この練習を考えるだけで俺はリトルに行くのが嫌になった。
日曜日の朝にウトウト目がさめると、薄眼を開けながら「どうか雨でありますように…‼︎‼︎」そんな気持ちで、窓から外を覗いた。
ユニフォームに着替えながら「急に雨降らないかな…。それか、あのコーチ今日は休みでありますように…。」
心の底から願っていた。
当然、グランドには練習を眺める親父がいるわけで、家でやる練習に10本捕りノックが追加された。
捕らなければ終わらないプレッシャーと親父からのプレッシャーの両方に押しつぶされそうでスタート時にはウルウルきていた。
エラーしようもんなら号泣だ。公園のど真ん中で号泣だ。
それでも” 野球 をやめたい”と思うことはなかった
嫌で嫌で仕方なかったけど、そこに「野球をやめたい」と言う気持ちはなかった。
投げる楽しさが残っていたのか、バッティングが楽しかったのか、友達と会うのが楽しみだったのか…
ただ単に「野球をやめる」という選択肢が考えられる家庭にいなかったのか…
続く。