今日も明日も親父も”野球 “/第十五話「お客さん待遇、終了」
憧れのシニアの現実… 前節でも記したように、兄が船橋シニアに通う頃から、 野球 練習の見学やボール拾いなどでグランドに入れてもらい “シニアは厳しいけど、愉快な場所” そう考えていた。 正式に入部して、早々にイメージは崩された。いや、壊された。 届くはずがないノックの打球にドロドロになって飛びつき、グランド...
憧れのシニアの現実… 前節でも記したように、兄が船橋シニアに通う頃から、 野球 練習の見学やボール拾いなどでグランドに入れてもらい “シニアは厳しいけど、愉快な場所” そう考えていた。 正式に入部して、早々にイメージは崩された。いや、壊された。 届くはずがないノックの打球にドロドロになって飛びつき、グランド...
野球 人生の大きな転機? 小学6年の春先だろうか。 帰宅すると、親父に 「来週からリトル行かなくていいからな!」 あまりにも急な事で、黙ったまま。 「!?!?!?…俺何かしたっけな…。」 と、咄嗟にめっちゃ考えたがわからなかった。 ただ、 「辞めたくないな」 みたいな、悲しさや寂しさは無く、 「やった!リト...
とにかくノックが嫌いだった小学生時代… 小学生の頃、ピッチャーとショートをやっていた。 ピッチャーは体が大きいし投げたらそこそこ速い球を投げれたし、やりたくてやっていた。 ショートは、肩が強くて遠くに投げれたから。好きではなかった… リトルのコーチが怒鳴りながら打つノックは、威圧感が嫌だったし、連続10球捕...
バッティングセンターでのある事件… 前にも書いたが、” 野球 トレーニング”の一環として俺は小学1年から中学卒業まで週に二回必ずバッティングセンターに通っていた。 兄貴もだ。 親父の車に乗り兄貴と3人で行く道中はかなりの緊張感だ。 バッティングが悪いと帰りの車でドヤされる。 晩飯が平...
“野球 人生”を大きく変える出来事 小4の終わり英会話の塾から帰宅すると… ちょっとまて。 お前は、野球バカじゃなかったのか??と突っ込みたくなるほどサラリと英会話を切り出したが、俺は団地に営業にきた英会話塾の押し売りにまんまとハマり突発的に英会話に通いたいとオカンに言って、小学4年...
試合による”野球”の達成感 相変わらずノックやランニングなどの練習が嫌だったが、試合に出る機会も増え、三振をとる事、ヒットを打つ事、試合に勝つこと、練習したことが”成果”として出ることに「達成感」を感じ、嬉しくて野球をやっていた。 同時に、その達成感は親父も感じていたに違いない。 そ...
” 野球 場”あるあるが事件のきっかけに⁉︎ 小学4年、冬に入る頃。 事故は起きた。 と言うか、起こした。 冬場のグランドは寒さが厳しい…いや、冬はどこでも寒さが厳しいか…。 どっちでもいい、とにかく寒い。 そんな、寒さを凌ぐ為に大人達はグランドの側で焚き火をしていた。 グランドに行...
我が家の睡眠時間 小学4年で身長が11センチ伸びたと話したが、牛乳をがぶ飲みし激太りからの激しいランニングをしたからではないと思っている。 その頃、親父の仕事は、中距離トラックの運転手だった。 朝方3時や4時に自宅を出て夕方に帰宅していた。だから、親父は寝るのが早かった。 団地住まいだったし俺たち兄弟に自分...
我が家と親父のルーティン 小学4年の夏。 オカンが耳の病気で入院する事になった。 ただ、2週間程で家に帰ってくる事になっていた。 親父の生活リズムは、仕事から帰るとまず風呂に入る。 そして、夕飯・晩酌。九時半には寝る。 ほぼ毎日、この流れを崩さない。 時にオカンや俺たちの予想に反し、親父が仕事から早く帰ると...
俺は皆勤賞 野球づけの毎日は変わらず、相変わらず10本捕りノックは嫌だったが、俺は皆勤賞でリトルに行っていた。 皆勤賞はリトルだけでない。 俺は幼稚園から高校卒業まで無遅刻無欠席だ。 兄貴も俺も妹も。 「勉強できなくても、休むな、遅刻するな」 これが親父の考えだった。 インフルエンザで少しだけ休んだ時があっ...