今日も明日も親父も”野球 “/第十話「反省会」
試合による”野球”の達成感 相変わらずノックやランニングなどの練習が嫌だったが、試合に出る機会も増え、三振をとる事、ヒットを打つ事、試合に勝つこと、練習したことが”成果”として出ることに「達成感」を感じ、嬉しくて野球をやっていた。 同時に、その達成感は親父も感じていたに違いない。 そ...
コラム
試合による”野球”の達成感 相変わらずノックやランニングなどの練習が嫌だったが、試合に出る機会も増え、三振をとる事、ヒットを打つ事、試合に勝つこと、練習したことが”成果”として出ることに「達成感」を感じ、嬉しくて野球をやっていた。 同時に、その達成感は親父も感じていたに違いない。 そ...
” 野球 場”あるあるが事件のきっかけに⁉︎ 小学4年、冬に入る頃。 事故は起きた。 と言うか、起こした。 冬場のグランドは寒さが厳しい…いや、冬はどこでも寒さが厳しいか…。 どっちでもいい、とにかく寒い。 そんな、寒さを凌ぐ為に大人達はグランドの側で焚き火をしていた。 グランドに行...
我が家の睡眠時間 小学4年で身長が11センチ伸びたと話したが、牛乳をがぶ飲みし激太りからの激しいランニングをしたからではないと思っている。 その頃、親父の仕事は、中距離トラックの運転手だった。 朝方3時や4時に自宅を出て夕方に帰宅していた。だから、親父は寝るのが早かった。 団地住まいだったし俺たち兄弟に自分...
我が家と親父のルーティン 小学4年の夏。 オカンが耳の病気で入院する事になった。 ただ、2週間程で家に帰ってくる事になっていた。 親父の生活リズムは、仕事から帰るとまず風呂に入る。 そして、夕飯・晩酌。九時半には寝る。 ほぼ毎日、この流れを崩さない。 時にオカンや俺たちの予想に反し、親父が仕事から早く帰ると...
俺は皆勤賞 野球づけの毎日は変わらず、相変わらず10本捕りノックは嫌だったが、俺は皆勤賞でリトルに行っていた。 皆勤賞はリトルだけでない。 俺は幼稚園から高校卒業まで無遅刻無欠席だ。 兄貴も俺も妹も。 「勉強できなくても、休むな、遅刻するな」 これが親父の考えだった。 インフルエンザで少しだけ休んだ時があっ...
楽しいだけだった”野球 時代”の終わり 小学校2年も終わる頃、親父は相変わらず熱血で爆裂で俺はかなり警戒はしていた。 が、その熱血さはまだまだ兄貴に向けられていて、俺は投げる事の楽しさを知り、バッティングセンターにも楽しく通い、兄貴達のストリートベースボールにも混ぜてもらい、お気に入...
“野球”以外にも興味があった低学年時代 小学1年で始めた野球だが、1年生と2年生時のリトルリーグでの記憶が無さ過ぎる…。 家庭の記憶が強すぎるのか⁉︎ その可能性は否めない…。 記憶が無いと言うか、かなり力まないと思い出せない。 …力むってなんだ。 むしろ、幼稚園児の頃にウルトラマン...
我が家の生活スタイルは【 野球 一色 】 まるで最終話の様なタイトルになってしまったが… 兄貴が始めた野球が、俺も始めるきっかけになり、親父までも熱中させてしまった。 むしろ、親父が入ったことにより我が家は完全に野球生活一色になった。 なぜ、家族旅行が小学2年の夏休み以降なくなったか。 簡単だ。野球まみれの...