今日も明日も親父も野球:第六話「無病は気から」

相変わらず、10本捕りノックは嫌だったが俺は皆勤賞でリトルに行っていた。

皆勤賞はリトルだけでない。

俺は幼稚園から高校卒業まで無遅刻無欠席だ。

兄貴も俺も妹も。

「勉強できなくても、休むな、遅刻するな」

これが親父の考えだった。

 

インフルエンザで少しだけ休んだ時があったがあれは学校の欠席扱いにならない。

なんでだろう?

インフルエンザだと、休んでいるのに欠席にならない…

なんでだろう??

 

…まあいい俺は皆勤賞だ。

 

なぜそこまで皆勤賞にこだわったか。

「休む」と言う考えがなかったと言うか許されなかったからだ。

チームの練習も、学校も、習い事も、休むと親父に怒られる。

そのインフルエンザの時も寝込んで4日目くらいには「まだよくなんねーのかあぁ?みんな練習してうまくなっちゃうんだからな!もうずっと寝てろ‼︎」

病気の息子にも結局、野球を絡めてきた。

 

それから、寝込むのをやめたし、咳をするのをマジで我慢した。

知っているだろうか。風邪の時、無理に咳を押し殺すと鼻水が吹き出る。

 

だから吹き出していた。

 

怒られたくないから、休まないし風邪ひかないし嫌でも行くし。

どんなに嫌な事があっても親父に怒られる以上のものはなかった。

 

 

小学4年になった頃の事だ。

漢字のテストの点が悪かった俺は居残り勉強を先生から命じられた。

その日は習い事のスイミングスクールの日だった。

16時半を過ぎてめちゃくちゃソワソワし始めたのを覚えている。

漢字よりスイミングの送迎バスがくる17:10の事を気にしていた。

いや、送迎バスに乗り遅れてスイミングスクールに行かずに家にいる事を想うだけでソワソワせずにはいられなかった。

もう漢字なんて頭に入らない。

16:50…俺は勇気を振り絞って担当のミムラ先生に

「今日は習い事があるから帰らせてください」半べそで言った。

 

「あと10分頑張りなさい」先生は言った。

 

先生はわかってない。その10分が俺には命取りな事を。

 

17時過ぎに学校を出て、泣きながらスーパーダッシュで家に帰った。

しかしその頃の俺はスーパー足が遅かったから家についたのは17:10を過ぎていた。

 

仕方がないから、スイミングスクールを休む…

 

 

 

 

 

わけがない。

 

親父がまだ帰宅してなかった。不幸中の幸いだ。

チャリンコをかっ飛ばしてスイミングに行った。

泣きながら帰宅したからオカンは「!?」って感じだったけど、スクールのバックを持って速攻家を出た。

スクールには無事に間に合ったが、まだ終わりではない。

いつもの様にバスで送迎であれば、帰りもバスの方が帰宅が早い。

「今日も泳いだな~」なんてのんびりチャリンコで帰るわけにはいかない。怪しまれないために帰りもチャリンコを飛ばした。

 

オカンも、子供達が怒られるのを見たくないから「スクールにチャリで行った」なんて、親父に伝えるようなミスはしないし、夜遅く起きてると怒られる確率が上がるから早く寝かせるし体調崩させないし学校行かせるし…崩させないってなんか変だな。伝わるだろうか、この感じ。

要はオカンの気合いが入った教育と体調管理だ。

 

と言うか、さり気なく話にオカンが登場した。

 

ずっと親父と兄貴しか出てこなかったからウチは父子家庭かと思った人もいたんじゃないか。

父子家庭だとしたら爆裂親父を止める人がいなくて…

 

やめよう。眠れなくなる。

 

我が家のバランスは、完全にオカンで保っていた。このオカンじゃないと親父を操作できないし俺たちもだいぶ偏った考えをもった人間になっていたに違いない。

 

オカンも野球を全く知らなかったし野球に興味があったわけでもなかった。

むしろ我が家が野球一色になった事で一番巻き添えを食らった人かもしれない。

 

何れにせよ野球だけでなく、学校や習い事など全てにおいて「遅刻しない・休まない」と言う社会人になっても大切なことを、恐れていた親父からのプレッシャーにより、自然と刷り込まれていた。

 

 

続く