今日も明日も親父も野球:第三話「子供の夢は親の夢」

まるで最終話の様なタイトルになってしまったが…

兄貴が始めた野球が、俺も始めるきっかけになり、親父までも熱中させてしまった。

むしろ、親父が入ったことにより我が家は完全に野球生活一色になった。

なぜ、家族旅行が小学2年の夏休み以降なくなったか。簡単だ。野球まみれの生活になったからだ。

土日祝日は全てチームの練習や試合があって、平日は、学校から帰宅し親父がいれば、一緒に練習。いなくても、家の前で兄貴とキャッチボールや素ぶりをしていた。もちろん友達と遊んだりもしていたが、16時半頃になると「野球の練習あるから帰るね!」そう言って帰宅し練習していた。それは、野球が上手くなりたい!と言う気持ちよりも「親父帰ってきてるかも…」と言うザワザワ感から練習をするため帰宅していた。夜は、野球中継を見ながら食事。決まって巨人戦を見ていた。巨人が負けると親父の機嫌がめちゃくちゃ悪くて巨人ファンでもないのに「頼むから勝ってくれ」と念じていた。

俺は、小学生の頃から体が大きかったからピッチャーもやっていた。親父に「桑田選手みたいにボールに気持ちを込めて投げろよ」なんて言われて練習からボールにブツブツ話しかけるスタイルを真似しながら親父とピッチング練習してた。とにかく、速い球いってくれーって思ってた。ストライクじゃなくても速ければ親父は機嫌が良かったからだ。ただ試合でファーボールで自滅するとめちゃ怒って誰がいようとその場でド突かれた。今思うと、ピッチングに関してちゃんと教えてもらってなかった。「上から投げるんだよ」こればかりだった。だからおかしな癖がついた。小さい頃の癖は中々取れない…この話はまた別の時に。

親父が野球に熱中し、毎日のように熱血指導していたが、親父は空手とバスケしかやったことない野球初心者だ。そのせいか、初めは練習内容も個人ノックや壁当て、素ぶり、ととにかく量をこなす原始的なスパルタ練習だった。ただ、徐々に練習内容が変わっていった。

親父は、プロ野球選手のピッチングフォームやバッティングフォームの分解写真がまとめられた本などを買い、親父なりに分析し独学で学んでは「こうやって打つんだよ」と言い俺たちに本を見せてくれた。それから始めた練習は、「打球にバックスピンをかけるように打て」「バットを耳元からだし体のそばから振れ」要は最短距離でボールを打てっていう事だった。その頃から週二回、バッティングセンターにも通うようになった。小学校2年から中学卒業まで週2回必ず通った。親父の前で日頃の素ぶりの成果をバッティングセンターで出すのに必死だった。バッティングが悪い日には、その場で素ぶりをして良くなるまで打った。それでもダメだと家まで走って帰らされた。

習志野台バッティングセンター

バッティングセンターでも、怒鳴ってたし爆裂な親父だったけど、野球の技術的にも”動くボールに対して習慣的に練習する事の大切さ”は19歳でプロになってからずっと感じていた事の一つ。その事を小学低学年からやっていたことに自分のバッティングの成長が間違いなくあったと思う。素ぶりが悪いわけではないが、結局試合では、ピッチャーが投げた球”動いている”ボールを打つわけだから、いくらスイングが綺麗で鋭くなっても打てなきゃ意味がない。メジャーリーグを見ても十人十色の構えやスイングをしている、強く打てて遠くに打てればOKだというのも考え方の一つ…

まあ自論は置いといて…

親父の熱血練習に怯えてたし、やらされてる感はあったけど、小学二年から中学卒業まで通ったバッティングセンター代を考えると本当に頭が下がる。

 

まだまだ話は始まりに過ぎないが、親父も、兄貴と俺の夢を叶えようと試行錯誤、独学の日々がはじまった。

 

続く。