今日も明日も親父も野球:第二話「やる気スイッチ」

小学2年の夏休み、親父と兄貴と男三人で御宿に旅行に行った。

親父と釣りや小さいカニを捕まえて遊んだのを覚えている。でも、兄貴はアウトドアなことに全く興味がないから、岸壁に向かって一人でバッティングをしていた。あの頃から兄貴は野球バカだ。親父と楽しんで捕まえたカニをバッティング終わりの兄貴が足を滑らせ水槽をぶちまけてカニを逃がし、親父がブチギレて雰囲気が超悪くなったのを覚えている。

怒る一面もあったが、まだその頃は親父のことを「パパ」と可愛らしく呼んでいた。アウトドアが大好きで優しいパパ。

…と言うか、今でも親父の事を本人を前にして「親父」なんて呼べない。

思い返すと、この旅行が最後の家族旅行だ。

 

夏休みが終わり、2学期が始まってからだ。パパ…いや親父が兄貴を連れて公園や団地の前で野球の練習をするようになった。

ここで言いたいのは、兄貴が親父を連れ出して練習をしてるんじゃなく、親父が兄貴を連れ出している事。

年がら年中、兄貴について行き遊んでいた俺も、必然的にその場に行くようになった。

しかしそこにはもう「パパ」の姿は無かった。

真昼間の公園や団地の前で

「おら!行くぞコウスケ!!」「捕れ!!コォルァァァ!!」

怒り狂い怒鳴り上げる親父がいた。壁の前に兄貴を立たせ、鬼の至近距離でノックを打ち、兄貴は正に死に物狂いという感じでボールを受けていた。リアル巨人の星状態で近所の人は何も見なかった様にスルーしていた。今の時代に、あのような人がいたら確実に通報されていると思う。

俺はその様子を見るだけで毎回泣いていた。ただ、恐怖で泣いていたんじゃなくて、親父も怖いし、これから自分もやらなきゃいけないと思うと、ただただ涙が溢れた。

兄貴の練習が一通り終わると俺の番。でも、低学年の俺には流石にそんな練習は「その時は」なかった。親父とキャッチボールや、かるーいノックを受けて終わっていた。でも、事前に凄まじい練習を見せられた俺は小学2年生とまだまだ幼さとやんちゃさがあるはずが、毎回全力でかなり真剣に取り組んだ。時にはなぜか泣きながらやっていた。同級生が「あっけいすけだ!おーい」なんて声をかけられる時があったが「練習中だし反応したらダメだ!親父がいるんだ、うるせー声なんてかけるな!やめてくれぇぇ」と思うまでになっていた。

大人になってから聞いたことがある「お父さん、なんであんなに怒って兄貴に毎日練習やらせたの?」

親父は言った「たまたま、グランドに練習見に行ったら監督やコーチにコウスケが怒鳴られてるのをみて、なんであんなに怒られなきゃならねーんだって悔しくてよ、だったら俺が鍛えるしかねーって思ったんだよ。しかも野球選手になりたいって言うから練習しかないだろ。」

そんな親父は、空手とバスケしかやったことない野球未経験者だ。

 

兄貴も俺も小さい頃から口にする夢は「プロ野球選手になる」特に兄貴は本気で思っていたと思う。じゃなきゃ、あんな日々に耐えられるはずがない。俺は、どちらかと言うと兄貴やみんなが野球選手になるって言ってるから、じゃ僕もなる。みたいに言い始めた。その言葉が、何を意味するのかも知らずに…

親父のやる気スイッチが入ってしまってからは、家でのんびりしていても、みんなと遊んでいても、団地の横を親父のデリカが通るのを確認すると、直ちにバットを握り、水で顔を濡らし、不自然な程汗だくで家の前で素ぶりを始めた。のんびりしてる姿、わいわい遊んでいる様子が見られようもんなら「遊んでんなら野球選手になんかなれるわけねーだろ」と兄貴が鉄拳制裁されるのを見ていたからだ。かなり偏った環境だし育成方法だ。だが、俺の野球生活が始まったばかりの時に、このような日々が当たり前になっていったから、何も疑うことなく「練習しなきゃ」と思うように根付いたのは間違いない。

 

 

そして、街中で異常にデリカに敏感になり、遊びだった野球が生活の一部になっていった。

 

 

続く。