今日も明日も親父も野球 : 第一話「出会ってしまった…」

今日からコラムとして、FROM BASE.代表・上野啓輔の紆余曲折な野球人生と今に至るまで、またその裏に、「野球」というものに魅了…とり憑かれてしまった上野啓輔の父『親父』にいかにして育てられたか、全何話になるかわかりませんがここに綴っていきたいと思います。

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きっかけ それはとても在り来たり。

4歳離れた兄貴がリトルリーグに入部したのを機に小学1年だった俺は一緒にグランドに連れて行かれるようになっていた。

グランドでは、低学年担当のコーチが優しいし面白いしお菓子くれるしでグランドに付いて行くのが楽しみになっていた。

そんな流れで自然に俺も入部していた。今思うとまんまとチームの勧誘にハマっていた。しかし、グランドに行くのが楽しみで仕方がなかったから野球人生スタートの「きっかけ」としては感謝だ。

ただ、スタートで人生が変わったかもしれない選択をしている。

俺は生まれつき左利き。しかし、右投げ右打ちだ。身長が193cmあるが、当時こんなに大きくなるとわかっていたら間違いなく左投げにしていた。

人生変わっていたかもしれない。。

 

この俺の右投げをチョイスしたのは、兄貴だ。その頃住んでいた高根台団地の前で

「けいすけ、バット振ってみ」

記念すべき俺の一振り目。

バットを握る手は上下逆で左足を上げ左のスイングをした。

このスイングを見て兄貴は「こいつは右だ」そう判断したみたいだ。

野球を全くやったことないのだから、握り方も何も分かるわけがない。ちゃんと聞いてから振ればよかった。

右投げにしたのは、「上げる足が逆だったから。」これもちゃんと教えて欲しかった。

そんな感じで俺は右投げ右打ちで野球人生をスタートさせた。

余談だが、野球選手にも私生活は左利きだけど野球だけは右という選手は結構多い。

 

野球をはじめてからは、毎日のように遊びは野球だった。

向かいの団地に住む兄貴の友達や俺の幼馴染。みんな芝生で野球をしていた。団地のマンホールをベースにし3塁ベースだけは、四角い石を勝手に埋めてやっていた。

団地と団地のあいだは約30m程、団地の高さは4階建て。その団地を超えればホームラン。。

かなりの弾道で打ち上げないとホームランにはならなかった。パワプロでいう「弾道4」。

しかし、小学生のみんなは団地を超えていた。その頃にいくつゴムボールを団地の上に乗せたかわからない。

まさにストリートベースボールで育った。

実際に高根台団地で遊んでいた兄貴をはじめ友達は、その後、高校野球雑誌に名を連ねる程のプロ注目選手に育っていた。

しかも全員、打者として。俺も中学卒業まではほとんど打者としてプレーしていた。

あの有名な野村克也監督も「環境が人間形成をする」と言うように、まさにあの高根台団地の環境が原点だ。

TakanedaiD

 

そんなこんなで毎日楽しく野球で遊び、土日のリトルリーグが楽しみで仕方なかった俺だった。

が…小学3年になり雲行きが怪しくなる。。

 

2話へ続く。